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東京地方裁判所 平成2年(ヨ)2232号 決定 1990年8月10日

債権者

大桃道幸

右代理人弁護士

佐藤義行

金丸精孝

宇佐見方宏

大塚尚宏

債務者

学校法人昭和女子大学

右代表者理事

人見楠郎

右代理人弁護士

藤井輝久

主文

一  債務者は、債権者に対し、平成二年八月二一日以降平成三年七月二一日に至るまでの間、毎月二一日限り金四六万九九〇〇円を仮に支払え。

二  債権者のその余の申請を却下する。

三  申請費用は債務者の負担とする。

事実

第一申請

1  債権者が債務者の従業員(債務者設置にかかる昭和女子大学文学部助教授)たる地位にあることを仮に定める。

2  債務者は、債権者に対し、平成二年四月二一日以降毎月二一日限り金四六万九九〇〇円を仮に支払え。

第二事案の概要

一1  債務者は、昭和女子大学を設置、運営する学校法人である。

2  債権者は、昭和六〇年四月一日、昭和女子大学文学部英米文学科専任講師として債務者に雇用され、昭和六三年四月一日、同学部助教授に任用された。

3  債務者は、右雇用契約締結に際し、債務者理事長において債権者に面接し、「就職前の相互諒解事項」(<疎明略>)を読み聞かせた上、これを厳守する旨記載し保証人高取清の署名押印をそえた誓約書(<疎明略>)の提出を受けた。

4  債権者採用当時の「就職前の相互諒解事項」には、次のような記載があった。

六項「本学の教育方針および方法に反する言動のあった時、または本学教職員服務規程第四章第四十六条(不都合な行為等)、同第八章第五十六条(勤務不正常等)に該当する場合は退職を命じます。この場合は、同日以後の本学への出入りと、本学学生との接触を厳禁します。」

七項「第六項に基づく退職命令によって、九〇日以前の予告なしに処置された場合には、命令の日から九〇日間の本俸相当額を支給します。」

八項「左記に該当する場合は、本学教職員としての資格を失ったものとして処置しますが、このような事柄の発生せぬよう努めて下さい。

(一)本学教職員服務規程に違反する行為のあった時。

(二)上長の指示命令を実行しない時および教授会・教育会議の決定を実行しない時。

(五)本学に関して、または先輩・同僚・後輩に関して事実に反することを、当人以外のところで公表誹謗した時。

もしこの事実があった時は、同一条件の席上または紙上において、本人の責任ある署名をもって訂正されない限り、本人の責任は消滅しないものとする。

九項「……第六項および第八項による退職の場合は、退職手当・厚生手当は放棄しなければなりません。」

5  債務者は、債権者に対し、平成二年三月二〇日、昭和女子大学事務局長渋田一信名義の次のような記載のある書面(<疎明略>)を交付し、同年四月以降は債務者との雇用契約関係を否定している。

「望月人事部長から貴殿が嘗て提出した採用時の誓約書を書き改めるように申し渡された時の経過記録を、貴殿が十二月十五日の対談の席で突如一方的に破棄し、かつ文書保有者である理事長には勿論、望月人事部長、吉村人事部長代理に対して一言の断りもしなかったばかりか、その事情を一方的に曲げて学内で吹聴した事実は、教育者として甚だ遺憾なことでありました。この行為は、単なる文書の破棄というよりも、むしろ契約前相互諒解事項七―1の無視であるばかりでなく、採用時の誓約事項否定という意味で貴殿にとっては致命的失点と言わざるを得ません。

その時点で教育者としての貴殿の地位は喪失されたことは理事会においても確認され、貴殿の保証人(高取清氏)もそのように認識して、既に貴殿に対して自発的退任の勧奨を致したと聞き及んでおります。しかるに、満三か月を経過してもなお、新たなる誓約書の提出も、破棄された文書の復元もなされていないことが本日確認されましたので、これまで送付していました貴殿の給与及び扶養家族手当等は本三月をもって自然停止となります。

これによって、契約前相互諒解事項第十項に基づき貴殿の退職金その他の特権は自然消滅することになりますので、ご承知置き願います。……」(なお、右に契約前相互諒解事項七―1とは、債権者採用当時の「就職前の相互諒解事項」八―(二)と同趣旨の規定である。)。

6  当時、債務者の学校法人昭和女子大学服務規程(以下、「服務規程」という。平成元年以降のもの)には、次のような定めがあった。

第三条 「教職員は各自の責任を重んじ、誠意をもって職務に精励し、協力一致して本法人の教育目的達成に努めることを本分とする。」

第四条 「教職員は常に次の事項を固く守らなければならない。

(1) 本学園の建学精神の実現を第一義とし、本法人及び学校の名誉を毀損したり、または職務上の機密を漏洩したりしないこと

(8) 勤務に関する手続きその他の届出を偽らないこと

(9) 職制に定められた上司の指示、命令を遵守すること」

第二八条 「教職員は契約前諒解事項を承認した者のみが、選考を受けることができる。」

第五四条 「次の各号の一に該当したときは、戒告または諭旨退職とすることができる。

(6) 校務上の書類に偽りのあったとき

第五五条 「次の各号の一に該当したときは、懲戒解雇とすることができる。

(6) 契約前の相互諒解事項及び就職時の契約事項に違反したとき

(13) 本法人に対して、または教職員として不都合の行為があって理事会において解任すべきものと決定したとき

(16) その他前各号に準ずる理由のあるとき」

7  債権者は、債務者から、毎月二一日限り、金四六万九九〇〇円の賃金を得ていた。

その内訳は次のとおりである。

本俸 金三四万八四〇〇円

家族手当 金七万二五〇〇円

職務手当 金一万三〇〇〇円

奨学手当 金一万五〇〇〇円

住宅手当 金二万一〇〇〇円

(合計 金四六万九九〇〇円)

8  債権者は、妻及び未成年の子三名を扶養している。

9  債務者は、債権者に対し、「就職前の相互諒解事項」七項による金員として、平成二年四月二〇日に金三六万七〇五六円を、同月二七日に金七二万三四九八円(合計金一〇九万〇五五四円)を支払った。

二  (争点)

1  債務者の主張

(一) 債務者においては教員の採用にあたり次のような手続がとられており、債権者の場合も同様の手続がとられた。

(1) 昭和女子大学の教員となろうとする者に対し、債務者理事長自ら面接し、債務者の設置する小学校・中学校・高等学校・短期大学・大学及び幼稚園の教育方針、歴史についてまとめた文献(<疎明略>)と学生便覧(<疎明略>)を与えて熟読させた上、「昭和教育についての感想と昭和女子大学教員就任の決意」について「感想・決意書」を提出させる。

(2) その後、同理事長自ら再度面接し、「就職前の相互諒解事項」(<疎明略>)を一言一句読み聞かせてその内容を確認し、「就職前の相互諒解事項」厳守する旨記載した自筆の「誓約書」を提出させる。

債権者は、右のように、「就職前の相互諒解事項」を読み聞かせられてその内容を確認し、これを厳守する旨の昭和六〇年二月九日付誓約書を債務者に提出した上で雇用契約を締結した。したがって、「就職前の相互諒解事項」は債権者債務者間の雇用契約の内容となっている。すなわち、債務者と債権者とは、「就職前の相互諒解事項」所定の事実を解雇原因事実として合意したものであり、債務者は、債権者に対する「就職前の相互諒解事項」所定の解雇権を留保している。

(二) 債権者には、次のような行為があった。

(1) 自筆でない誓約書と再提出の拒否

<1> 債権者は、債務者に就職するに際して、債務者理事長から直接口頭で、誓約書は全文自筆で記載するように指示されたにもかかわらず、右指示に違反し、代筆の誓約書(<疎明略>)を提出した。のみならず、債権者は、学外で、「墨で書いた履歴書は自分でなく他人に書かせ学校に提出した。それを知らない学部長は上手だとほめたよ。」などと吹聴した。

債務者理事長は、平成元年一二月一三日、望月人事部長を介して、債権者に自筆の誓約書の提出を命じたところ、債権者は、同人事部長に対して、「誓約書を急に書き直せと言われても出せない。急に書かせる理由にはうさん臭さを感じる。誓約書は代筆であっても本人のサインがあれば有効である。」などと言って、上司である同人事部長の命令に従おうとしなかった。

<2> 債権者の右行為は、「就職前の相互諒解事項」八項(二)、六項前段、服務規程四条(8)、五四条(6)、五五条(6)、(13)、(16)に該当する。

(2) 「交渉経過記録」の毀損

<1> 債権者は、平成元年一二月一五日、前記望月人事部長が前記(1)後段の経過を記録して債務者理事長に提出した「大桃先生との交渉経過記録(誓約書作成の依頼について)」と題する書面(以下、「交渉経過記録」という。五葉のもの。)をカッとなって勝手に一二〇枚の紙片に毀損した。

<2> 債権者の右行為は、「就職前の相互諒解事項」八項(二)、六項前段、服務規程二八条、三条、四条(9)、五五条(6)、(13)、(16)に該当する。

(3) 交渉経過記録の毀損の吹聴

<1> 債権者は、平成元年一二月一五日、交渉経過記録を毀損後、望月人事部長の面前から退席した後、昭和女子大学九階研究室廊下において、「自分がしていないことを紙に書いてサインをしろと言うから、そんなものサインできないと言って破り捨てた。学校は非常に不当に要求をする。すすんで破り捨ててやった。」と付近の研究室に聞こえる大声で自慢げに一人に話した。

債権者は、右の他にも、人事部長の記録を破り捨てたと学内で言い回り、あたかも債務者が不当であるかのごとくに述べて、職場の秩序を乱した。

<2> 債権者の右行為は、「就職前の相互諒解事項」八項(五)、六項前段、服務規程二八条、五五条(6)、(13)、(16)に該当する。

(4) 同僚教員の前での昭和女子大学等に対する誹謗

<1> 債権者は、同僚教員の前で、昭和女子大学等について次のように述べてこれを誹謗した。

「この学校にはタイムレコーダーがあって教師の研究を妨げている。また、教師を信頼していない。」

「他の学校では教授も助教授も講師もすべて勤務条件は同じなのに、この学校の制度はおかしい。若い教師を育てる気持ちがまったくない。」

「給与を勤務時間で割ると、この学校は他の学校に比べて決して給与は高くない。むしろ、低い方だ。」

「担任になると、学生の不始末をすべて担任に押し付けるので、担任はおちおちしていられない。これは学問研究にマイナスだ。」

「(立教など)他の学校では、教授が一番持ちコマが多く、次に助教授、次に講師なのに、この学校は若い教師に多くコマを持たせるので、じっくり研究できない。学長は学校のことが分かっていないんじゃないか。」

<2> 債権者の右言動は、「就職前の相互諒解事項」八項(五)、六項前段、服務規程二八条、四条(1)、五五条(6)、(13)、(16)に該当する。

(5) 学生の前での昭和女子大学に対する誹謗

<1> 債権者は、学生の前で、昭和女子大学等について次のように述べてこれを誹謗した。

「この学校は学生に厳しく自由がないだけでなく、教師にも厳しい。」「教授と助教授とは研究日が違う。」

<2> 債権者の右言動は、「就職前の相互諒解事項」八項(五)、六項前段、服務規程二八条、四条(1)、五五条(6)、(13)、(16)に該当する。

(6) 「眼科友の会」での昭和女子大学等に対する誹謗

<1> 債権者は、帝京大学の眼科のM教授の執刀による眼の手術を受けており、同教授に治療を受けている者の会である「眼科友の会」の会員であるところ、同会員の前で次のような話をして昭和女子大学等を誹謗した。

(ⅰ) 昭和六一年中の「眼科友の会」のある月例会において、「昭和にはOというオールドミスの嫌な奴がいてね、卒業生であって威張っている。私を含めて早稲田出の若い二人の教師をラブホテルに誘いセックスを強要し、これを受けないと昇格させないんだよ。」と声高に話した。

(ⅱ) 昭和六二年に神田の学士会館で開かれた「眼科友の会」の新年会(出席会員三〇名前後)において、次のような発言をした。

「昭和女子大学は入る前に誓約書を書いて出すことになっているが、私は毛筆が下手なので、他の人に書いてもらった。署名だけはしたけれど誓約書の内容には責任をもつつもりはないんだよ。」

「人見先生の長女はヒッピーである。」

「学長はワンマンだ。」、「学内に住んでいるのに校内を自動車に乗って動いている。」、「学長は自分は近いくせに、他の先生が遅刻するとにらむ。私もにらまれた。」

<2> 債権者の右発言は、「就職前の相互諒解事項」八項(五)、六項前段、服務規程二八条、四条(1)、(9)、五五条(6)、(13)、(16)に該当する。

(三) そこで、債務者は、平成二年一月三〇日の理事会での債権者の解雇決定を経て、同年三月二〇日付で、昭和女子大学事務局長から、債権者に対し、同月末日限り債権者を解雇する旨通告した。

(四) 債務者は、債権者の服務規程違反行為にもかかわらず、債権者の将来の就職等への不利益を考慮して、当初、解雇を控えることとし、平成二年三月末日までの猶予期間を与え、右期間内に、新たな自筆の誓約書を提出し、従前の態度を改め、破棄した書面の復元をするなどして改峻の情を示すか、または、解雇される前に退職願を提出するかの選択の余地を与えるという温情ある措置をとった。すなわち、まず、債権者採用時の保証人である高取清を介して、債権者に対して平成二年三月末日までに任意退職するよう勧めるとともに、右同日までに進んで退職しない場合は同日限り退職となる旨何度か通告した。そして、同日末日が近づいたにもかかわらず、債権者から退職の申し出がなされないため、平成二年三月二〇日付の書面(<疎明略>)を交付したものである。

しかも、債務者は、懲戒解雇事由があるにもかかわらず、債権者を懲戒解雇にすることなく、「就職前の相互諒解事項」六項に基づく通常解雇にとどめ、同七項に従って九〇日間の本俸相当額の支払を申し出、かつ、再就職に必要な証明書等を交付することをも申し添えた。

なお、債務者が、債権者に対し、「就職前の相互諒解事項」七項による金員として平成二年四月二〇日及び同月二七日に支払った合計金一〇九万〇五五四円の明細は、次のとおりの(1)から(2)を控除したものである。

(1) 本俸 金三四万八四〇〇円

家族手当 金七万二五〇〇円

住宅手当 金二万一〇〇〇円

以上の三か月分合計金 一三二万五七〇〇円

(2) 源泉所得税(四月ないし六月分) 金三万八三一〇円

住民税(四、五月分) 金四万八八〇〇円

私学共済掛金(短期、四月ないし六月分) 金五万六四三〇円

私学共済掛金(長期、四月分) 金二万六〇七〇円

私学共済掛金(長期、五、六月分) 金五万三〇二〇円

雇用保険料(四月ないし六月分) 金七二九〇円

温交会費(四月ないし六月分) 金五二二六円

合計金二三万五一四六円

(五) 本件仮処分について債権者には保全の必要性はない。

債権者の父親は、商店会長等を努め、都内に土地を保有してアパートを経営し、自宅のあるビルの一部を他人に賃貸しており、不動産だけでも十数億円を下らない資産を有する資産家である。債権者は、昭和四七年に立教大学法学部を卒業し、その後明治学院大学に入学し、昭和五二年に同大学文学部を卒業し、昭和五四年に東海大学に非常勤講師として採用されたが、昭和六〇年に債務者に雇用されるまで、その父親の多大な援助を受けていた。そして、債権者の父親は、現在でも、週一、二回債権者宅を訪れて、自ら製造した豆腐等の食料品を差し入れるなどしており、債権者は、今後もその父親からの援助を受けうることが予想される。なお、債権者の住居はその父親名義であるが、その賃料を債権者が父親に支払っているというのは疑わしく、また、同建物の一部は第三者に賃貸されており、その家賃は債権者の収入となっている疑いがある。債権者は、英国に留学したことのある英文学の助教授であって、自ら積極的に職を得ようとすれば、他の学校、予備校等で教師として働き、相当程度の収入を得ることができるはずである。したがって、賃金仮払仮処分の必要性はない。

2  (債権者の主張)

(一) 債務者主張にかかる債権者の行為についての反論は次のとおりである。

(1) 確かに、債権者は誓約書を代筆してもらったが、それだけで解雇理由になることはない。また、債権者は、平成元年一二月一三日に大学事務局人事部に出頭するよう呼び出しを受けていたので、同日午後三時四〇分ころ出向いたところ、望月人事部長から、「採用時に提出してもらった誓約書を書類を移動した際に紛失したので、監査のときなどに困るから、今すぐこの場で書いてくれ。」と言われたが、たまたま学内の仕事が忙しく、十分な時間がとれないので、「同月一五日の午後に書きます。」と回答の上、紛失した誓約書をもう一度探してくれるよう頼んだだけで、解雇事由にあたるような出来事はなかった。

(2) 確かに、債権者は、平成元年一二月一五日、望月人事部長から同月一三日の前記経過の一部を記載した書面を示され、同人事部長とのやりとりの末これを破棄したことはあるが、それは、同人事部長の了解のもとにしたことであり、右やりとりの経過は次のとおりであって、解雇事由にあたるような出来事はなかった。

すなわち、債権者が望月人事部長から署名捺印するよう求められた書面には、同月一三日の経過に関し、「誓約書を書くことを拒んだ」という歪められた事実が記載されていた。そのため、債権者は、同人事部長に対し、その点を指摘し、「事実に反する書面には署名捺印できない。」と答えるとともに、右書面の用途を尋ねたが、それも明らかにされず、さらに、写しの交付を求めたが、それも拒否された。そこで、債権者が事実に反する右書面の破棄を求めると、同人事部長は、自分の方で破棄はできないと言うので、債権者は、「それでは私が破りましょう」と言ったところ、同人事部長が「やむをえません。」と答えたため、その場で右書面を破棄したものである。

(3) 債権者は、右の経過を吹聴したことはない。

(4) 債権者は、同僚教員や学生の前で債務者主張のようなことを述べて昭和女子大学を誹謗したことはないし、仮に、そのようなことがあったとしても、ささいなことで解雇事由にはならない。

(5) 確かに、債権者は、M教授の執刀による眼の手術を受けたことがあり、「眼科友の会」の会員であるが、債務者主張のような発言をしたことはない。

(二) 平成元年三月二〇日付書面による意思表示は、確定的な通常解雇の意思表示と解することはできず、次の諸点からも無効であると解すべきである。

(1) 債権者は、債務者から、平成二年三月二〇日付の書面(<疎証略>)を受領したが、同書面には、債権者の債務者との雇用契約上の地位が解雇の意思表示なくして当然に自動的に消滅し、後日そのことを理事会において確認したという極めて理解しがたい見解が記載されている一方、同時に、平成二年三月末日までに自発的に退職手続を完了した場合のことについても記載されており、任意退職を慫慂しているようにもみえ、さらに、退職金の不支給等の重大な不利益も課されているのであって、確定的な通常解雇の意思表示と解することはできない。

(2) 債務者主張の各事実は債務者の服務規程上の通常解雇事由にはまったく当てはまらない。

(3) 右意思表示は、通常解雇の意思表示ではなく、懲戒解雇の意思表示であると位置づけるほかなく、債務者の服務規程五三条によれば「懲戒処分は戒告、諭旨退職、懲戒解職の三種とする。この処分を行うときはその理由を明示する。ただし事前に当該者に弁明の機会を与える。」とされており、また、同五八条によれば債務者理事会がこれを決定することとされている。

しかるに、本件においては、債権者は懲戒解雇の理由を明示されたことはないし、弁明の機会を与えられたこともない。のみならず、(疎証略)の理事会議事録には委任状を提出したと記載される理事が議事録の末尾に押印していることから虚偽のものである疑いがあり、仮に真実の内容が記載されているとしても、記載自体から、理事長が債権者の「就職前の相互諒解事項」違反の事実について具体的に開示することなく議決したように読める。

(4) 望月人事部長が紛失したと説明した誓約書は、本件で債務者から疎乙第五号証として提出されている。債務者はあえて解雇理由を作り出すために虚偽の説明をしてまで誓約書の再提出を求めたのである。債権者の解雇は、債務者理事長が、第三者による債権者に対する根拠のない誹謗中傷を事実調査もせずに盲信した結果、債権者を昭和女子大学から放逐するためになされたものである。

(三) 保全の必要性

債権者は、債務者からの賃金で妻及び未成年の子三名を扶養して生計を維持してきたものであり、かつ、研究者として学会費及び研究費の支出も必要不可欠である。また、債権者は、昭和女子大学文学部助教授として同大学図書館を利用する権利を有する。

第三当裁判所の判断

一  債務者は、(疎証略)による解雇の意思表示を根拠として債権者との雇用契約関係を否定しているところ、同書面に記載されている内容は、債権者が「教育者としての地位を喪失し」、そのことが理事会において「確認され」、給与等が「自然停止」となり、退職金等の特権が「自然消滅」するというものであって、右意思表示の法的意味は相当に不明確な部分がある。債権者は、右解雇の意思表示は、実質的に債権者を懲戒解雇する趣旨のものと解すべきである旨主張し、債務者は、債権者には懲戒解雇事由があるにもかかわらず懲戒解雇にすることなく、(疎証略)によって「就職前の相互諒解事項」六項によって留保された解雇権を行使した旨主張している。右解雇の意思表示をもって、いかなる法的意味のものと解するのを相当とするかの点は措き、仮に、債務者主張のように解約権留保付雇用契約における留保解約権行使としての解雇であったと仮定した上で考えてみる。

本件疎明資料及び審尋の全趣旨を総合すると、債務者が債権者との間の雇用契約関係を否定するに至った経過として、次の事実を一応認めることができる。

1  債権者は、債務者に就職するに当たって、債務者理事長から、自筆による誓約書の提出を求められたが、全文第三者に代筆してもらったものを提出した。

2  債務者は、何らかの経緯により右誓約書が債権者の自筆でないことを知り、現に右誓約書を所持しているにもかかわらず、平成元年一二月一三日、望月人事部長において債権者を人事部に呼び出し、同部長から債権者に対し、右誓約書が見当たらないのでその場で新たに誓約書の本文を書き債権者の署名押印をするように話した。これに対し、債権者は、毛筆が不得手で短時間でこれを書き上げる自信がなく、当日の仕事の関係上、同月一五日にこれを書くと応じて退出した。しかして、同部長は、同日中に再度、債権者を人事部に呼び出し、再び、その場で誓約書を書くように話した。債権者は前に約束したように同月一五日に書くとしてその場で書くことに応ぜず、当日は予定があるとして退出した。

3  同月一五日、債権者は、同部長から呼び出されて、人事部に出頭した。同部長は、債権者に対し、同月一三日の前記やりとりを詳細に記録した交渉経過記録を示し、これを債権者に読ませた上、そこに署名するようにと言った。しかし、右交渉経過記録の記載は債権者が誓約書を書くことを拒否したという趣旨になっていて、同月一五日に書くと述べたことが記載されていなかった。そのため、債権者は、「前回は時間がなくて書けなかったが、きょうは書くつもりで来たところ、このような記録にサインを求められても納得しかねる。記録に署名しろというのは裏に何かうさん臭いものを感ずる。」と述べて、右交渉経過記録への署名を拒否した。その後、結局、債権者は、同部長及び吉村人事部長代理の面前で右交渉経過記録を細かく破るに至ったが、その前には、債権者が、「そちらの不手際で見当らないということなのに、保証人の署名は後でよいから取り敢えず書いてくれなどと、急いで書かせようとするのはなぜなのか。」などと尋ね、同部長が「あくまで事務整備上の一環として必要であるにすぎない。」と答えたり、債権者が同部長に対し右交渉経過記録の用途を尋ね、同部長が答えられないと応答し、また、債権者がそれでは写しを交付してほしいと述べ、同部長がそれも拒否したというやりとりの経過があった。

同部長は、同月一六日付で債務者理事長に対し、右経過のあらましを書面(<疎証略>)で報告した。

その後に債務者が債権者に対して自筆で誓約書を書き直すよう命じたことはもはやない。

4  同月二〇日、債務者理事長、松本学監、加藤教務部長、前記人事部長ら六名が、債権者を昭和女子大学内応接室に呼び、同理事長から、債権者に弁明の余地を与えないまま一方的に、前記誓約書を自筆で書くように面接時に話したのに代筆されたものを提出したばかりか、そのことを学内外のあちこちで放言しているそうではないか、と糺問し、さらに、前記人事部長に同月一五日の経過報告書(<疎証略>)を順次読み上げさせつつ、債権者の発言内容として右報告書に記載のあるものを指摘しつつ同理事長の見解を述べてみたり、就職時に債権者が提出したいわゆる決意書(<疎証略>)を債権者に渡して読み上げさせ、よくかけている決意書だが現実にやっていることはまったく裏腹だと述べたり、前記交渉経過記録を破棄したことを学内で言いまわってあたかも自分は正当であり大学が不当であるかのごとく言っているというではないかと詰問したりした上、破棄された前記交渉経過記録とセロテープ、台紙、糊を債権者に渡して、元に戻すように命じて、債権者に試みさせた。そして、右誓約書が自筆でなかったことと前記交渉経過記録の破棄が不当な行為であったことを認める趣旨の文書を一〇分間で書くように命じ、それを提出させ(<疎証略>)、後は、幹部で相談の上何分の連絡をする旨告知した。この間、債権者は、極めて恭順な態度に終始し、言われるままに、交渉経過記録の復元を試みたり、「陳謝状」(<疎証略>)を書いたりした。

5  平成二年一月五日、債務者理事長らは、同大学応接室に債権者を呼び出し、冒頭、右4の経過を記載した記録(<疎証略>)を債権者に渡して読み上げさせ、途中、交渉経過記録破棄について人事部長は承諾していないとの同部長の発言の記載部分について、債権者が、実際には同部長は破棄してもやむをえないと言ったような気がする旨述べるや、同理事長が、「言っていません。人事部長がそのようなことを言える立場にない。」旨断定し、当日立合った各人が確認して押印済みであると指摘した上で、債権者の押印を求めた。そして、債権者がこれに押印するや、同月からの授業には出ないでよろしいと告げた後、学長の批判は絶対に許せない、学生たちにも債権者は大学に批判的だと言われていることを知っているか、などと発言したが、債権者が悪口を言った覚えはないと述べると、否定するほどボロが出ると言って、債権者の弁明を無視して、直ちに、連絡があるまで家庭にいるよう命じた。この場でも、債権者は、極めて従順な態度を示していた。

なお、その後、二月初めになって、債権者は、高取清(同人は、当初、債権者の助言者的立場にあったが、その後、債権者に対し再三任意退職を勧奨し、債権者がこれに応じなかったことから、平成二年三月三一日付で債務者に対し進退伺〔<疎証略>〕を提出する一方、債権者に対し「同年三月三一日付で退職せざるをえず退職届を提出した」、「債権者が周囲の好意を踏みにじってしまった」などと記載した四月一二日付書面〔<疎証略>〕を送付するに至った。同人は、右の時期に退職はしていない。)の助言に従い、さらに債務者理事長に対して反省の趣旨を記載した手紙を送った。

6  右の経過中、4及び5については、それぞれ詳細な記録(<疎証略>)が作成されており、なお、3についても右のとおり報告書(<疎証略>)が作成されている。

二  (疎証略)の前記記載内容によれば、債権者の解雇理由は、交渉経過記録を破棄したこととそのことを学内で吹聴したことにあるかのようにみえる。そしてまた、平成二年一月三〇日の債務者理事会において、理事長から、「本人の確認書(<疎証略>)に基づけば一二月二〇日で資格喪失による自然退職に該当する」旨の説明がなされていることからみても、同理事会で債権者の非違行為として指摘されたのが交渉経過記録の破棄の点であったことを窺うことができる。

しかしながら、まず、交渉経過記録を破棄したことを債権者が学内で吹聴したとの事実についての疎明資料は何もない。右記録破棄の点についてみるに、これに至る経過は前記認定のとおりであって、債権者は、債務者から、突然、雇用契約時に提出した誓約書が見当たらないという説明を受けてその場で誓約書を書くように命ぜられ、二日後に書くとして応じなかったところ、二日後には、誓約書を書くことを拒否した旨の交渉経過記録に署名するように命ぜられたものであって、債権者が就職に際して自筆で書くようにという債務者理事長の指示に反して誓約書を他人に代筆してもらって提出したという事実があったにせよ、それは五年近く前のことであり、債権者がことの経過には何か裏があるのではないかと疑って、その用途を尋ねたり、写しの交付を求めたりしたことには無理からぬ面がある。そして、本件疎明資料によって認められる経過を総合すると、なんらかの経緯により雇用契約時に債権者から提出された誓約書が自筆によるものでないことを知った債務者があくまで人事部長の面前で債権者に誓約書を書かせようとした真意は、本件疎明資料によって認められる経過を総合すると、新たに自筆で書かせた誓約書と債権者雇用時の誓約書とを対照して、後者が自筆でないことの確証を得ようとしたものと一応推断せざるをえない。そして、このような目的に出た誓約書作成命令にその場で応じなかったことを、誓約書作成の拒否であると決めつけた交渉経過記録を作成して債権者の署名を求めることには、首肯しうる合理的理由を見い出すことができず、右のような経過を経て前記記録を破棄したことをもって解雇の理由とすることは到底許されないというほかはない。また、債務者の主張(二)(1)のその余の事実すなわち誓約書が債権者の自筆によるものでなかった事実については、これによって抵触を生ずる余地のある関係規定は服務規程五四条(6)のみであって、「就職前の相互諒解事項」には該当規定は見当らない。

さらに、本件において債務者が債権者の解雇理由として主張するその他の事実は、あるいは発言の相手方、時期、機会が特定されておらず(債務者の主張(二)(4)、(5))、あるいは三、四年前のことである(同(6))ところ、前者については、平成元年一二月二〇日及び平成二年一月五日に債務者理事長が相当断定的に債権者が大学ないし学長の批判をしている旨述べているにもかかわらず、本件仮処分手続においては、その根拠となったとみられる資料は結局何も提出されていない(高取清作成のメモ〔<疎証略>〕は、作成時期、作成目的等が明らかでないばかりか、債権者の発言の相手方、時期、機会等が特定されておらず、債務者が平成元年一二月一三日、同月一五日、同月二〇日、平成二年一月五日の各経過についてはそれぞれ詳細な記録をとっていることに対比して余りにも漠然としており、その他、同人の債権者との関係、本件疎明資料によって認められる同人の当時の立場、態度などをも考慮すると、債権者の解雇事由とされるものがこのメモによって把握されたものとは考えがたい。)。そして、後者の事実についても、債務者が、何人からいかなる経緯により情報を得て、事実を把握したかを明確にする疎明資料はなく(なお、早川節子の平成二年四月二五日付陳述書<疎証略>には債務者の主張(二)(6)に副う記載もあるが、他方、それらの事実を最近約四年間は何一つ耳に入れたことはないとの記載もあり、さらに、(疎証略)に照らすと、これのみでにわかに疎明ありとすることはできない。)、債務者が平成元年一二月一五日、同月二〇日の各経過については詳細な記録をとっているにもかかわらず、本件で債務者が債権者の解雇理由として主張する前記記録破棄以外の事実については解雇前に作成された確たる資料がないことに帰する。

そして、一方、債権者は、少なくとも前記記録破棄後は、前記認定のとおり、債務者ないし債務者理事長に対し極めて恭順な態度を示しているのであって、たとえば事後の態度に反省の色がみえないなどとして解雇が決せられたというような場合とは明らかに経過が異なっており、事後的な債権者の態度が本件解雇の決定に影響を与えたとは考えられない。他方、(疎証略)には、平成元年一二月二〇日の際に、債権者が大学の批判の点を指摘されてこれを否定したのに対する、言っていない武勇伝が学内の人々から伝わるものでしょうかという債務者理事長の発言が、(疎証略)には、平成二年一月五日の際に、学長の批判は絶対に許せない、学生たちにも債権者は大学に批判的だと言われていることを知っているかなどの同理事長の発言が現われている。これらに平成元年一二月二〇日の時点では既に債務者は債権者に自筆の誓約書を書かせようとはしていないことなどを併せて考えると、債務者が債権者の解雇を決した際に主眼とされた点が、むしろ、大学、学長に対する発言の方にあったとも考えられるところである。しかして、これらの点についての疎明資料の状況は前記のとおりであるから、以上を総合して考えると、債務者は、本件において債権者の解雇理由として主張する(4)ないし(6)の事実について、予めそれなりの事実調査をして一応裏付けのある証拠を掴んだ上で債権者を解雇することを決したものではなく、漠然とした噂、風評程度のもので債権者の解雇を決定したものと一応認めるほかはない。

仮に、債務者・債権者間の雇用契約が債務者主張のように解約権留保付のものであったとしても、解約権留保付雇用契約における解約権の行使は、解約権留保の趣旨・目的に照らして、社会通念上相当として是認される客観的に合理的な理由がある場合でなければ許されないものと解さなければならない。そして、留保された解約原因に該当する事実が本件のような非違行為である場合には、それ相応の客観性のある資料に基づき、債権者の弁明をも聴取するなどして、慎重に事実を把握しなければならず、単なる噂、風評程度のもので解雇を決することは、債務者に与えられた裁量の範囲を超えたものというほかはない。

してみれば、債務者が債権者の解雇原因として主張する前記(4)ないし(6)の事実の存否についてさらにことの真偽を審究するまでもなく、本件解雇は無効である。

三  本件疎明資料によれば、債権者は、債務者から支払われる賃金で妻及び未成年の子三名を扶養して生計を維持してきたものであり、毎月主文掲記の金額の支出を要することが一応認められる。債務者は、債権者の父親が資産家でその援助を期待することができる旨主張するが、債権者の生計と右父親の生計とが同一であるとか、債権者が父親の援助によって生計をたててきたことを窺わせる疎明はなく、父親が資産家であるとしてもその一事をもって賃金仮払仮処分の必要性を阻却するものと解することはできない。また、債務者は、債権者が父親に対する毎月の賃料を支払っているというのは疑わしいと主張するが、債務者自身が住宅手当の支給要件を認めてこれを支払ってきており、しかも、本件仮処分申請手続係属後に債務者が債権者に対して「就職前の相互諒解事項」七項による金員として支払った合計金一〇九万〇五五四円のうちにも右住宅手当が含まれていることをも考慮すると、貸主を父親とする賃貸借の賃料であるというだけで前記認定を覆すことはできない。しかし、平成二年四月二〇日及び同月二七日には債務者から債権者に対して前記金員が支払われているところ、過去分の賃金の仮払いを命ずべき必要性を一応認めるに足りる疎明はないので、平成二年八月二一日以降平成三年七月二一日に至るまで主文掲記の金員の仮払の必要があるものと認める。また、いわゆる任意履行を期待する地位保全の仮処分を発すべき必要性を肯認すべき疎明はない。

(裁判官 松本光一郎)

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